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談 no.117

因果論の戯れ

談 no.117

文化、芸術、思想、科学などについて各界気鋭の論壇を招き、深く掘り下げるワンテーマ誌。

著者 公益財団法人 たばこ総合研究センター 編著
松浦 壮
吉田 伸夫
大澤 真幸
シリーズ
出版年月日 2020/03/01
ISBN 9784880654836
判型・ページ数 B5並製・90ページ
定価 880円(本体800円+税)
在庫 在庫あり
 

内容説明

特集:因果論の戯れ

no.115より始まったシリーズ企画「虚、擬、戯」の最終回。最新物理学が解く虚、擬、戯の世界だ。

量子力学の世界には、神に比せられる普遍的な観察者は存在しない。であるとすれば、量子力学的な態度のなかには、個別性への関心が支配的であって、普遍性への志向は失われているのか、といえば、事態はまったく逆である。たとえば、量子力学的な観察を通じて、われわれは粒子としての物質を捉えることになる。しかし、われわれはそれがすべてではないことをすでに知っている。つまり、波動としての半面を知っているのである。観察者を通じて、「このX」を捉えた時、われわれは同時に、「このX以上の何か」「このX以外の何か」を直感する。このように、単一性についての体験のなかに常に随伴する、「これですべてではない」「これ以上の何かがある」という残余の感覚をもつ。このことが、普遍性への通路となるのだ、と社会学者・大澤真幸氏は言うのである。

量子力学にあっては、真空でさえも単なる無ではない。真空もまた、「それ以上の何か」であって、そこでは、ゆらぎを通じて物質が出現したり、消滅したりを繰り返している。これと対応することを、われわれは、親しい〈他者〉が亡くなった時に体験する。この部屋には、もう彼/彼女はいない(真空)。ただ、彼/彼女が使っていたシャープペンシルやベッドがある。この時、ますますわれわれは、彼/彼女の現前を感じ取ってしまう。無に対する残余として、〈他者〉の実在をむしろ強く感覚するのだ。

虚、擬、戯とは、ここでいう残余の感覚に他ならない。時間もしくは因果(法則)には、この残余の感覚、すなわち、虚、擬、戯として表出するいわば「このX以上の何か」が漏れ出ているのだ。そして、「このX以上の何か」が漏れ出ていることによって、人間界の秩序は維持されている。「虚、擬、戯」は、その意味で普遍性の通路となっているのである。因果論を凝視する意味も、ここにあるのだ。

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目次

・〈時間とは何か〉時間は巨大な構造物の一部にすぎない…最新物理学から〈時〉の正体に迫る
松浦壮(慶應義塾大学商学部 自然科学研究教育センター教授。専門は、素粒子物理学、超対称性、超弦理論、格子理論)

たとえとして適切かどうかはわからないと断ったうえで、素粒子物理学が専門の松浦壮氏は、次のように言う。人間は、心臓なら心臓、皮膚なら皮膚というように、からだを構成するさまざまな部分が、それぞれ固有の役割を果たすことで命をつないでいる。その一方でからだをつくるあらゆる細胞は同じDNAを共有している。このDNAは、ひとつの受精卵に由来していて、発生の過程で、その細胞がからだのどこにあるかによって役割が固定される。最初から役割が決まっているわけではない。iPS細胞も、細胞の固定化された役割がリセットされて、あらゆる細胞に分化する能力を取り戻せるという点が注目されたのだ。物理学の最前線では、時間・空間・物質・力のすべてに共通するDNAに、今まさに触れようとしているのであって、このDNAこそが時間の正体なのだ。

時間とは何か、という問いの果てに見出したのは、時間が、空間・物質・力を含む巨大な構造物の一部であるという事実である。時間は独立した概念ではなく、時計に代表されるような指標(基準)でもない。時間は、「時空」・「重力」・「量子場」と刻まれた建造物を絶妙につなぐ要石であり、その建造物もさらに巨大な構築物の一部にすぎないのだ。最新物理学が探り出した時間の正体とは。


・〈時間は存在しない〉なぜ、〈時の流れは存在しない〉に至ったか…解題『時間は存在しない』
吉田伸夫(東海大学と明海大学での勤務を経て、現在、サイエンスライター。専攻は、素粒子論〈量子色力学〉)

カルロ・ロヴェッリは、物理学の最前線でループ量子重力理論を主導する物理学者であるが、昨年翻訳された『時間は存在しない』は、ループ量子重力理論に基づいて、「時間や空間が根源的ではない」という驚嘆すべき見解を発表し、世界に衝撃を与えた。ロヴェッリによれば、この世界の根源にあるのは、時間・空間に先立つネットワークであり、そこに時間の流れは存在しない。にもかかわらず、人間には、過去から未来に向かう時間の流れが当たり前の事実のように感じられるのはなぜか。時間が経過するという内的な感覚が、未来によらず過去だけにかかわる記憶の時間的非対称性に由来し、記憶とは中枢神経系におけるシナプス結合の形成と消滅という物質的なプロセスが生み出したものだという。過去の記憶だけが存在するのは、このプロセスがエントロピー増大の法則に従うことの直接的な帰結だとロヴェッリは論じるのだ。現時点での時間論の最新理論である『時間は存在しない』を解題しながら、量子力学が捉えた時間の謎に迫る。


・〈時間とエピステーメー〉量子力学が暗示する〈無知の神〉…時間と社会
大澤真幸(社会学者。専門は比較社会学、社会システム論)

量子力学が現代社会を理解し、未来社会を構想するための基本的な指針を与えるような、政治的・倫理的な含意を宿していると社会学者・大澤真幸氏が主張した時、社会学に関心をもつ多くの人は、一瞬その耳を疑ったものだ。高度に抽象的で浮世離れした物理学の基礎理論である量子力学が、なぜゆえに世俗的で生臭い人間社会の政治的イデオロギーや倫理的な価値と関連しているなどと言えるのであろうか。大澤氏は言う。「量子力学という途轍もない神秘の深淵が、同時代の他の知や実践のなかにも同様に萌(きざ)していた謎  それらの知や実践の当事者すらも意識していなかった謎  を、増幅してみせる」からだと。

その倫理的・政治的な意味は、「神」のあり方に託して予告することができる。かつて神は、全知であるとされていた。全知であることは、神の本質的な属性であった。近代の科学は、人間がかつて神に帰せられていた全知へと漸近しようとする不遜な試みとみなすことができるだろう。ところが、量子力学が到り着く場所は、そうした不遜な試みが目指していたものとまったく逆の地点であった。量子力学が暗示しているのは、無知の神、無知である限りで存在する神、したがって神性の根本的な否定であるような神という逆説だった。量子力学という鏡が映し出した神とは、未来の社会とは。

*写真家・新井卓の撮り下ろし最新作「重力の虹」を同時掲載。

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