内容説明
“楽よ高らかに鳴れ 歌声よ甘く響け”
イタリアオペラを愛し、ベルカント唱法の真髄を究めたオペラ歌手。
日本のオペラ公演のスタンダードを作り出した名プロデューサー。
二つの貌を詳述した初の自伝
五十嵐喜芳は、1960~70年代を代表するテノール歌手。大学在学中に「NHK・毎日音楽コンクール(現・日本音楽コンクール)・声楽の部で優勝。パートはテノール(テノーレ・リリコ・レジェーロ)。63年『椿姫』で毎日芸術賞を受賞。二度のイタリア留学の後、テレビドラマ「コメットさん」にレギュラー出演するなど、知名度を全国的なものとする。
五十嵐喜芳の本領は、プロデューサーとしての力量にもあった。1985年か2003年にかけ藤原歌劇団総監督~新国立劇場オペラ芸術監督時代に行った、ダブルキャストの採用、開演前の平易な解説、字幕スーパー付原語上演など画期的な試みを初めて導入する。これらは日本のオペラ公演を変え、今日のオペラ上演のスタンダードとなり、より多くのオペラファンの獲得に成功する。
本書では、自らの出生から家族の死などで一人きりの五十嵐家となった経緯、結婚など、語られることのなかった生涯や、ベルカント唱法への想い、戦後の日本オペラを支えた歌手としての相貌と、プロデューサーとしての一面をはじめて披瀝。彼の人生を語ることが期せずして、わが国の現代オペラ史を語る成果ともなっている。
【著者】五十嵐 喜芳(いがらし・きよし)
テノール歌手。音楽プロデューサー。東京藝術大学卒。第3代藤原歌劇団総監督、新国立劇場オペラ芸術監督、昭和音楽大学・同短期大学部学長を歴任。昭和音楽大学特任教授、宝塚音楽学校のカリキュラム編成アドバイザー(声楽)、日伊音楽協会会長、(社)日本演奏連盟理事。1991年春、紫緩褒章受賞。1998年秋、勲三等端宝章受賞。1999年イタリア政府よりコンメンダトーレ勲章受章。2011年9月23日逝去。
*プロフィールは本書刊行時のものです。
イタリアオペラを愛し、ベルカント唱法の真髄を究めたオペラ歌手。
日本のオペラ公演のスタンダードを作り出した名プロデューサー。
二つの貌を詳述した初の自伝
五十嵐喜芳は、1960~70年代を代表するテノール歌手。大学在学中に「NHK・毎日音楽コンクール(現・日本音楽コンクール)・声楽の部で優勝。パートはテノール(テノーレ・リリコ・レジェーロ)。63年『椿姫』で毎日芸術賞を受賞。二度のイタリア留学の後、テレビドラマ「コメットさん」にレギュラー出演するなど、知名度を全国的なものとする。
五十嵐喜芳の本領は、プロデューサーとしての力量にもあった。1985年か2003年にかけ藤原歌劇団総監督~新国立劇場オペラ芸術監督時代に行った、ダブルキャストの採用、開演前の平易な解説、字幕スーパー付原語上演など画期的な試みを初めて導入する。これらは日本のオペラ公演を変え、今日のオペラ上演のスタンダードとなり、より多くのオペラファンの獲得に成功する。
本書では、自らの出生から家族の死などで一人きりの五十嵐家となった経緯、結婚など、語られることのなかった生涯や、ベルカント唱法への想い、戦後の日本オペラを支えた歌手としての相貌と、プロデューサーとしての一面をはじめて披瀝。彼の人生を語ることが期せずして、わが国の現代オペラ史を語る成果ともなっている。
【著者】五十嵐 喜芳(いがらし・きよし)
テノール歌手。音楽プロデューサー。東京藝術大学卒。第3代藤原歌劇団総監督、新国立劇場オペラ芸術監督、昭和音楽大学・同短期大学部学長を歴任。昭和音楽大学特任教授、宝塚音楽学校のカリキュラム編成アドバイザー(声楽)、日伊音楽協会会長、(社)日本演奏連盟理事。1991年春、紫緩褒章受賞。1998年秋、勲三等端宝章受賞。1999年イタリア政府よりコンメンダトーレ勲章受章。2011年9月23日逝去。
*プロフィールは本書刊行時のものです。
目次
まえがき
第1章 今からでも遅くはない
第2章 イタリアの空の下
第3章 忘れ得ぬ歌声
第4章 歌曲へ、つのる想い
第5章 藤原歌劇団の日々
第6章 芸術監督の時代
第7章 歌こそ命の妙薬
あとがき
あとがきに添えて
年譜
第1章 今からでも遅くはない
第2章 イタリアの空の下
第3章 忘れ得ぬ歌声
第4章 歌曲へ、つのる想い
第5章 藤原歌劇団の日々
第6章 芸術監督の時代
第7章 歌こそ命の妙薬
あとがき
あとがきに添えて
年譜