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談 no.128

オートマティスム 自動のエチカ

談 no.128

文化、芸術、思想、科学などについて各界気鋭の論壇を招き、深く掘り下げるワンテーマ誌。

著者 鈴木 雅雄
川添 愛
中田 健太郎
公益財団法人 たばこ総合研究センター
シリーズ
出版年月日 2023/11/01
ISBN 9784880655567
判型・ページ数 B5並製・90ページ
定価 880円(本体800円+税)
在庫 在庫あり
 

内容説明

特集 オートマティスム 自動のエチカ

アンドレ・ブルトンは、『シュルレアリスム宣言』において、シュルレアリスムを次のように定義した。「(シュルレアリスム)は、心の純粋な自動現象であり、それを通じて口述、記述、その他あらゆる方法を用いつつ、思考の真の働きを表現することを目標とする。理性による一切の統御をとりのぞき、審美的あるいは道徳的な一切の配慮の埒外で行われる思考の書き取り」であると。

ブルトンは、宣言を起草する以前から、オートマティスム(自動記述)による試作を行なっていた。それは眠りながらの口述であり、思考より早い速度で書く試みであった。これは無意識や意識を排した状態を自らに課し、いわば狂気の側に身を委ねることと解釈された。しかし、ブルトンの本当の狙いは、じつはその先にあったのだ。狂気を飼い慣らすこと。つまりただ単に非理性的なものに表現力をもたせるだけでなく、これを生産的、あるいは創造的な行為に転嫁させる知的営為だったのである。自動化の問題系にあえてオートマティスムを召喚させる。理性と非理性の相反する二状態を同時並行的に生きること。それは、自動化それ自体を換骨奪胎することだ。

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目次

・呼びかけに応じる、しかし、何の?
鈴木雅雄
20世紀のさまざまな文化運動のなかでのシュルレアリスムの特異性は、「作品」や「理論」の内容以上に、あらゆる種類の呼びかけに応じようとする執拗な身振りのうちにあるものだったと鈴木氏はいう。シュルレアリストのアンドレ・ブルトンとポール・エリュアールによって著された詩篇『処女懐胎』は、精神障碍者の言説の偽装実験だったことはよく知られている。精神障碍者の言葉を到達不可能なものとして聖別するのではなく、しかしそこから何らかの要素や方法を抽出して利用するのでもなく、それを一つの呼びかけとして受け取り、いわばそれにシンクロすることで応じようとする実験だった。偽装されるものと偽装の結果との間に生じるさざなみのような何か、この呼びかけと応答のプロセスそれ自体がシュルレアリスムの運動そのものだったのだ。

・生成AIは「溶ける魚」を書けるだろうか
川添愛

機械学習の基本的な方法は、機械にやらせたい仕事を人間が定義するところから始まる。それに合わせてデータを集め、機械に翻訳の仕方や音声・画像認識の仕方などを学習させる。この方法では、人間が定義できて、かつデータが集まりやすい仕事であれば非常にうまくいく可能性が高く、今後も発達していくことが見込まれる。しかし、「笑わせよう」とか「泣かせよう」とする意志や欲求、感情をAIにもたせるのは、機械学習の方法では、到底無理である。そもそも何ができれば「意志」をもつことになり、何ができれは、「欲求」や「感情」をもったことになるのか。肝心の定義が難しい。ましてや自動記述など夢のまた夢である。シュルレアリスムの詩的実践である「溶ける魚」をAIは書くことができるだろうか。

・換喩から隠喩への逢着あるいはオートマティスムの多義性
中田健太郎

詩作や芸術制作におけるオーテマティスムの働きにかんして、何らかの事前の意味の存在を前提とする考え方と、意味はオートマティスムの作用を通じて事後的に生成するとする考え方の両方がブルトンのなかに認められると中田氏はいう。前者の考えに従う場合、「意味」が由来するさまざまな場所が想定されることに中田氏は着目し、初期のブルトンが、オートマティスムを作者が属する経験的世界の「外部」から届けられる「声」と関連づけて語る一方で、それとは正反対に、超自然的な「外部」を排除して、あくまで主体の内面にその由来を求めることもあったというのである。この両義的姿勢にブルトンの特徴を見出すのである。「意味」をめぐるこの二つの考え方を、言語学者ローマン・ヤコブソンの二分法にしたがい「隠喩的」なそれと、「換喩的」なそれと中田氏は名付ける。そして、精神分析の自由連想法に由来する「隠喩的な解釈可能性」と心理学・精神医学における「換喩的な言語の増殖」のいずれもがオートマティスムのなかに散見でき、隠喩と換喩の往還運動こそ、オートマティスムの特徴だというのだ。オートマティスムの誕生とその変遷をオートマティスムの多義性から捉え直す。

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