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天下布武への道

天下布武への道

数字と史料が語る織田信長。うつけ、桶狭間の勝利、小牧山城築城…。天下布武の真実がついにあきらかに

著者 蜂須賀 剣
ジャンル 社会
出版年月日 2016/01/27
ISBN 9784880653778
判型・ページ数 4-6上製・440ページ
定価 2,750円(本体2,500円+税)
在庫 在庫あり
 

内容説明

数字と史料が語る織田信長 うつけ、桶狭間の勝利、小牧山城築城、 天下布武の真実がついにあきらかに!!

織田信長については今更語るまでもない。
僧侶300 名を集めての父親の葬儀席上、髪は髷結わず茶筅に巻きあげ 袴も着けず、大小の刀を縄の帯にさし現れ、言葉も発せず、位牌に抹 香を投げつけて帰ってしまう。この場面を切りだしただけでも、唖然 とし、なぜ? の疑問が始まる。
そして周りの大人達から“ 大うつけよ" と陰口をたたかれたこの男 は数年後、尾張を統一し、今川の大軍を僅かな手勢で完膚なきまでに 撃破する。歴史上名高い「桶狭間の戦い」である。 “ うつけ" と呼ばれた男に何故このような戦が出来たのか。
それは彼 の天才性なのか、それともただ幸運に恵まれただけだったのか。

本書は信長の人生の内、家督相続後、前半の“ 天下布武" の印を使い始める15 年間について解説したものである。 史料『信長公記』を精査、別の史料と比較しながら、信長にまつわる “ 数字" を中心に、取り巻く“ 環境"(自然、政治、経済)、などから 活躍の舞台となった土台や、彼の下した数々の歴史的決断の背景を読み解き、新しい信長像に迫る1冊

【著者】蜂須賀 剣(はちすか・けん)
1949年群馬県館林市で生まれる。早稲田大学卒業後、(株)東芝入社。海外営業で、ギリシャ、ドイツ、イタリア、イギリス、ベルギー、フランスに計21年駐在。退職後著作活動に入る。
*プロフィールは本書刊行時の物です。

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目次

読者へ

天下布武

第一章 うつけを高く評価した二人
一、朝倉宗滴
天文二十一年(一五五二年)三月 父、信秀逝去:抹香投げつけ
天文二十一年(一五五二年)四月 三の山赤塚合戦:敗戦
天文二十一年(一五五二年)八月 萱津の合戦:尾張統一への第一歩
天文二十二年(一五五三年)七月 中市場の合戦:なぜ柴田権六?
二、斎藤道三
天文二十二年(一五五三年)四月 ご参会:“うつけ”の卒業
天文二十三年(一五五四年)一月 村木砦攻め:鉄砲使用の初見

第二章 弾正忠家の当主達
一、曾祖父 織田良信(すけのぶ/ながのぶ) 戒名:西厳
二、祖父  織田信定(のぶさだ)戒名:月厳
三、父   織田信秀(のぶひで)戒名:桃厳

第三章 織田信長
一、生い立ち・家督相続まで
天文三年 (一五三四年)五月 勝幡城にて誕生
天文十三年(一五四四年)九月 父信秀、美濃で大敗
天文十七年(一五四八年)   戦闘の専門家集団創り開始
二、尾張統一
天文二十四年(一五五五年)四月 清洲城奪取
弘治二年  (一五五六年)八月 稲生の合戦
永禄元年  (一五五八年)七月 浮野の合戦
三、今川義元
如律令
相甲駿三国同盟
太原雪斎亡き後
 
第四章 桶狭間の合戦
一、合戦前
二、合戦
三、合戦後

第五章 美濃攻略(一)
永禄三年(一五六〇年)六月 美濃へ出陣
永禄四年(一五六一年)五月 もりべ合戦・十四条合戦

第六章 小牧山城築城
一、なぜ築城か?
精神的最高権威
社会的最高権威
政治権力
経済力
二、築城
絶対的権威の創造
政治権力の再構築とその可視化
外交の手段
経済の再生
人材の育成

第七章 美濃攻略(二)
永禄六年(一五六三年)築城効果
永禄七年(一五六四年)犬山城攻略:尾張完全統一
永禄八年(一五六五年)麒麟の花押
永禄九年(一五六六年)九月 河野島合戦
永禄十年(一五六七年)美濃攻略



『参考資料』一覧表(天下布武への道)

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