内容説明
その名は、なぜ伝わらなかったのか? 誰が消したのか?
森鷗外とともに日清・日露戦争を勝利に導いた
一軍人の生涯と、死のあとに残された闇。
陸軍卿・寺内正毅は「田村はどう言っている?」と尋ねるのが習慣になっていた。明治陸軍に君臨した元勲・山県有朋ですら、田村が賛成と言えば賛成、反対ならば反対というありさまだった。
田村怡与造(いよぞう)(嘉永7:1854年-明治36:1903年)。明治陸軍参謀本部の実力者。甲州に生まれ、陸軍士官学校二期首席卒業、二度のドイツ留学、参謀本部では名将川上操六に仕え、参謀次長まで駆け上るが日露戦争の前年病に斃れる。享年50。
明治日本陸軍の用兵・兵站(へいたん)・輜重(しちょう)などの近代化にあたり主要な「要務令」を作成、明治天皇観閲(かんえつ)の陸・海軍初めての大演習の立案者。またドイツ留学時代の友人・森鷗外をクラウゼヴィッツの『戦争論』翻訳のために小倉に転任させ、翻訳の成果を日清・日露戦争に活かし、小国日本が大国ロシア帝国に大勝する礎(いしずえ)を築いた。
しかし田村の名は、後世に伝わらなかった。それはなぜか? 本書では田村の生涯とともに、彼の功績が消された謎、定説化した「鷗外小倉左遷説」を覆し軍医・森林太郎(鷗外)が果たした日清・日露戦争での役割など、日本史の裏舞台にスポットライトを当てる。
【著者】石井 郁男(いしい・いくお)
北九州市小倉生まれ。九州大学教育学部(教育哲学)卒業。小・中・高等学校で40年間教壇に立った後、西南学院大学・九州国際大学・福岡県立大学・健和看護学院講師を勤め、現在、北九州森鷗外記念会理事。主著に『カントの生涯』(水曜社)、『中学生の勉強法』『日本の歴史Q&A』『森鷗外と「戦争論」』など。
*プロフィールは本書刊行時のものです。
森鷗外とともに日清・日露戦争を勝利に導いた
一軍人の生涯と、死のあとに残された闇。
陸軍卿・寺内正毅は「田村はどう言っている?」と尋ねるのが習慣になっていた。明治陸軍に君臨した元勲・山県有朋ですら、田村が賛成と言えば賛成、反対ならば反対というありさまだった。
田村怡与造(いよぞう)(嘉永7:1854年-明治36:1903年)。明治陸軍参謀本部の実力者。甲州に生まれ、陸軍士官学校二期首席卒業、二度のドイツ留学、参謀本部では名将川上操六に仕え、参謀次長まで駆け上るが日露戦争の前年病に斃れる。享年50。
明治日本陸軍の用兵・兵站(へいたん)・輜重(しちょう)などの近代化にあたり主要な「要務令」を作成、明治天皇観閲(かんえつ)の陸・海軍初めての大演習の立案者。またドイツ留学時代の友人・森鷗外をクラウゼヴィッツの『戦争論』翻訳のために小倉に転任させ、翻訳の成果を日清・日露戦争に活かし、小国日本が大国ロシア帝国に大勝する礎(いしずえ)を築いた。
しかし田村の名は、後世に伝わらなかった。それはなぜか? 本書では田村の生涯とともに、彼の功績が消された謎、定説化した「鷗外小倉左遷説」を覆し軍医・森林太郎(鷗外)が果たした日清・日露戦争での役割など、日本史の裏舞台にスポットライトを当てる。
【著者】石井 郁男(いしい・いくお)
北九州市小倉生まれ。九州大学教育学部(教育哲学)卒業。小・中・高等学校で40年間教壇に立った後、西南学院大学・九州国際大学・福岡県立大学・健和看護学院講師を勤め、現在、北九州森鷗外記念会理事。主著に『カントの生涯』(水曜社)、『中学生の勉強法』『日本の歴史Q&A』『森鷗外と「戦争論」』など。
*プロフィールは本書刊行時のものです。
目次
序 章 日清・日露戦争
第1章 甲州にて
第2章 陸軍士官学校
第3章 『戦争論』との邂逅
第4章 参謀本部
第5章 日清戦争
第6章 戦後10年計画
第7章 小倉の鷗外
第8章 開戦前夜
第9章 日露戦争
終 章 消えた将軍
第1章 甲州にて
第2章 陸軍士官学校
第3章 『戦争論』との邂逅
第4章 参謀本部
第5章 日清戦争
第6章 戦後10年計画
第7章 小倉の鷗外
第8章 開戦前夜
第9章 日露戦争
終 章 消えた将軍
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